現存する沖縄最古の手織り布が発見された地 ~浦添市~
そこで昔ながらの技を繋ぐ「うらそえ織」
琉球王国誕生前の原点ともいうべき場所が浦添城跡。城の北側崖下にある浦添ようどれには、「太陽の子」といわれた英租王の墓が存在します。内部の石厨子の中には遺骨に密着した布が発見されました。布は白色と黄色の絹糸で織られたもの。位の高い王族は遺骨が布にくるまれて手厚く葬られていたことが分かります。これは、現存する沖縄最古(15世紀)の織物と考えられています。およそ600年後、この歴史のある浦添の地で、私たちは先人の技を繋いでいます。
デザインに込められた想い
- 舜天王の母
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故郷へ帰る夫を待ち続け 子を守り育てた母
- 背景
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1156年の保元の乱に敗れて、伊豆大島に流刑となった源為朝は、大島から脱出を試みたものの、嵐に遭遇し琉球の北部に漂着する。琉球に渡った為朝は本島南部の大里按司の妹を妻に迎え、男子を授かるが、妻と幼い子供を残して浦添から出港し、本土に帰ってしまう。後にその子は浦添按司となり、一国の王へと昇りゆく伝説の話。
『浦添市史第1巻』牧港のテラブのガマ、『中山世鑑』参考
- 尚寧王の王妃
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琉球王国最大の試練に立ち向かった尚寧王を支え、国を守り育てた(国の)母、王妃アオリヤエ(阿応理屋恵按司加那志)
『浦添市史第1巻』尚寧王妃 参考
うらそえ織もそのような母の想いを、手仕事を通して受け継いでいきたいと考えています。
真国黄金-Makuni kugani-
真国(まくに)とは国の中心を意味するほどの褒め言葉。黄金(くがに)が積もるほど海外交易で栄え、国の中心であると褒めたたえているのです。
その「おもろ」から、真国黄金Makuni kuganiと名付けました。
昨今、様々な出来事が世界を悩ませています。どのようなものを黄金と呼ぶのかは人それぞれです。
うらそえ織では、黄金とは何かを考えながら、早朝の黄金色に輝く空をイメージし、真心こめて織り上げました。
- おもろそうし
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「おもろそうし」は、1531年から1623年にかけて編纂された琉球最古の歌謡集です。「おもろ」とは琉球の神歌のこと。祭の時に神にささげる謳と考えられ、土地をほめ、領主をたたえ、豊かな実りを願い、航海の安全を祈り、また歴史上の人物や戦のことも謳っています。
おもろそうし巻十五の二八では浦添は、黄金が寄り集まり、永久に黄金が積もるほど繁栄がつづいている、これほどの土地は浦添にしかみられない、という内容を謳っています。「もゝと」は百年で、永遠の意味。「ねくに」と「まくに」は国の中心を意味するほどの褒め言葉。「とかしき」は浦添の古い地名で、国の中心地になってから浦々を治めるという意味の「うらおそい」(浦=村襲い)に変わり、その後「浦添」に変化してきたと考えられています。
今から600年前、浦添は琉球王国の王宮がある都として栄えていました。都が首里に移った後も、浦添グスクに居をかまえていた尚寧王が王位についたことも。また、初期の海外交易港といわれた港が、浦添市の牧港に存在します。おもろそうしには、うらおそいの時代、首里の時代に謳われていた「おもろ」が記録されています。おもろが謳われた時代は、琉球王国を建国し、アジア諸国との交易を展開する、はつらつとした時代でした。
うりずん urizun
- うりずん 海
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浦添の西側には唯一の自然海岸が残っています。開発の進む沖縄の海沿いで、地域住民を中心に大事にされてきた海岸です。浦添のこの海は地域の子供たちの学習の場としても利用され、愛されています。春らしい陽気の漂う海岸には、白い砂浜と遠浅の海が広がり、春の陽が射し込み、透き通ったエメラルドグリーンに輝きます。
- うりずん 空
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浦添の東側にはかつては城郭として主人を支えていた浦添グスクがあります。高台からは、東シナ海や遠くは読谷まで見渡せます。ここは緑豊かで、いつまでも残したい景観です。だんだんと暖かくなり、それまでの雨によって若葉が芽吹いてきました。